ぎこちない英語による戸羽俊夫の話

Toshio Toba’s talk by awkward English

語り手:戸羽 俊夫(38歳)。
レベル:ヤマハエレクトーン演奏グレード6級。

語り手の一言:私に連絡をくれる人達の多くは海外の方で、お互いにある程度のコミュニケーションを図れる言語は英語という事で英語でのトークをしてみました。一応、私の英語は通じたみたいです。

話した内容は、YouTubeのページに飛んで頂ければ日本語訳を動画の下に記しておきましたので良かったらご覧下さい。

海外の方達とコミュニケーションをしていて気付いたのは、宗教について当たり前のように話をして来るという事でした。日本の方で雑談していて宗教について言及して来る方はまずいません。日本人は、例えある宗教を信仰していたとしても言おうとしないのが普通です。

日本では宗教はおかしなものというイメージを持たれている方が多いからですね。

しかし、海外の方は自分の信仰している宗教について堂々と語って来ます。自分は何々教の何々派だと。本来、これが普通の姿であり、日本の現在の在り方が特異な状態に陥っている訳です。

宗教とは何でしょうか?早い話が正しさを教えてくれるものです。信仰を持っていないという事は、その正しいと信じる基準を自分の内に持っていないという事。自分が正しいと信じる基準がないという事です。

ですから、実は信仰している宗教がないという事の方が本来恥ずべき事なんです。自分がどのように生きるかという人生における選択ができていないからです。他の人に自分の意見を押し付けるつもりはありません。私の心を率直にありのままに記します。

宗教が人を狂わせるのではありません。宗教なき所に狂った人が現われて来るのです。これは疑いようのない事実です。信教の自由を絶対に認めない思想を持った組織を見れば一目瞭然です。

彼らは彼らの思想を受け入れない者達を粛清と称して処刑しまくりました。いや、現在もその粛清は行われています。彼らの思想に反する者は絶対に許されないのです。ですから言論の自由がないのです。

信教の自由が保障されている所に言論の自由も保障されているという事です。人が絶対に手放してはならないモノ、それは自由!私はそう思います。

本当の宗教とは人を束縛するものではなく、人を自由にしてくれるものです。束縛された自分を解放してくれるものです。少なくとも私は自分が正しいと感じ、信じた宗教を自分の基準として生きる事で、あらゆる意味において自由を満喫しつつあります。

タグ

このページの先頭へ

イメージ画像